高鍋町の史跡の看板を設置させていただきました663年の白村江の戦いにより唐と新羅の連合軍に敗れた百済の禎嘉王(ていかおう)は家族とわずかな家臣を連れて日向の国(現在の宮崎県)へ向かう途中、嵐に巻き込まれ禎嘉王は日向の金ヶ浜へ漂着。妻と息子の福智王および娘は蚊口浜へ漂着したと伝えられてます。福智王が比木(ひき木城町)に向かう途中。王妃も亡くなり(宮田神社に祀られる)病気で亡くなった娘が葬られたと言い伝えのある宿(しゅく)の坂にある小さな墓碑が福智王の娘の墓と言われています。現在でも木城から日向へ日向から木城へと家族が行き来するお祭りが残ってます。史跡を大事に新設された看板に愛着を感じます。場所は高鍋~木城線道路、高速道路高架下に位置します。

福智王の姫君の墓(高鍋町)

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